145 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/01/19(木) 06:48:09
1804 名前: 名無しの神大生 投稿日: 2006/01/19(木) 03:25:13

応用化学科応用有機化学研究室は東京工業大学から森敦紀教授が着任した。

ここでこの人事に異をとなえている3名の教員について、旧工業化学科北條
研究室に在籍したものとして、現在話題のシティ助手、ゴッドバード助教授、
OKD助教授(年齢順)について少し振り返ってみたい。この3名の教員はそれ
ぞれ神戸大学名誉教授、元工学部長、福井工業大学前学長である北條卓氏の
研究室にそれぞれ所属した。文章の性格上、敬称は省略する。

北條教授が京都大学から神戸大学に着任したのは1971年。ホームページにも
あるように、シティ助手は1972年京都大学の博士課程を単位取得により退学
した後、北條教授の薦めにより学位取得を待たずに神戸大学に研究生として
当時着任したばかりの北條研究室に所属した。1年の研究生生活の後、北條
教授はシティ氏を教務職員として採用する。シティ氏が助手となったのはそ
の3年後の1976年であった。

ゴッドバード氏は北條研究室に1973年、4年生として配属され、その後修士
を取得後、京都大学に進学し、1980年博士を取得した。当時、北條研究室に
は増田助教授が着任しており、空きポストは教務職員のみであったが、1980
年にそのぽすとに着任、苦節7年間を経て1987年当時の定員増による工業化
学科の増員に伴って、増田助教授が教授となるのと前後して、ようやく助手
となったのち、1989年北條研究室の助教授に。1992年には井植文化賞を取得
するなど、将来を嘱望されていたことも事実。


146 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/01/19(木) 06:50:19
OKD氏は同研究室に1979年に4年生として配属、その後修士を取得後、1982
年に当時の三菱油化に入社した後、当時新設されたばかりの自然科学研究科
物質科学専攻に入学、神戸大学工業化学科出身初の神戸大で博士を取得した
北條教授自慢の卒業生であった。残念ながら、ポストにはめぐまれず、1987
年教務職員となったが、助手を経ることなく1994年講師、1998年助教授とな
る。

この3名についてはいずれも長年の教務職員を経験するなど、それなりの苦
労を経て今日の地位を築き上げてきた。その間、様々な学科内における北條
氏の学部長就任、前任の竹内寛教授の着任期間における研究室の複数化など、
紆余曲折をへた後、今回の公募人事に望むことになった。

新聞報道によればこのうち2人の助教授が候補となったという。たしかに、
北條研究室出身者(とあえて言おう)の3名は、多くの卒業生を送り出す等
の貢献をしてきたと思われるし、北條氏退官後に1名の教授を迎えた経験を
持つ研究室である。その後に昇任をかけた公募人事において、弱冠46歳の
教授を迎えることに対しては忸怩たる思いがあるであろう。そのこと自体に
対しては察して余りある。


147 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/01/19(木) 06:51:39

しかし、このような学科環境を照らし合わせ、自らを客観視することができ
ていれば、このような事態に陥ることは無かったはず。

客観的に見て、応用化学科教授人事については、最近公募人事に移行した。
その後、旧工業化学科において着任したのは、竹内俊文教授、西野孝教授、
森敦紀教授であり、内部昇任をはたしたのは西野孝教授1名のみである。旧
化学工学系においても神戸大出身教授は大村直人教授1名のみである他、現
在でも応用無機化学・応用有機化学、移動現象工学、材料プロセス工学各研
究室での各種逆転人事がある他、機能分析化学、プロセスシステム工学各研
究室では10年以上の経験を有する助教授を教授空席のまま配置する等、き
わめて内部昇任には厳しい学科であり、決して情実人事を行ってきた学科で
はない。

こういった研究実績を伴った教授の一員としてその立場を占めるにはそれな
りの自覚と客観的な業績が必要だったはず。



148 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/01/19(木) 06:53:33

今回の恩師の業績をHPをみるといずれも「含フッ素複素環有機化合物」とい
う北條研究室のライフワークともいえる研究をひたすら続けてきたようだ。
その実績を見るにつけ、客観的な学術的貢献よりも恩師教授への忠誠を優先
させたという、今となっては前近代的な徒弟制度を体現しすぎないのではな
いかと思う。特に現助教授の2名は我々卒業生にとっても立派な先輩であり、
恩師であったようにも思う。

北條研究室は卒業式のときに北條教授を囲んで研究室一同が和気藹々として、
同志の卒業を祝い、工学部喫茶で、今回話題の3名の先生とともにお互いに
感涙を流して、将来を誓った団結力の強い研究室であったことが懐かしく思
い出される。その良き日の北條研究室は名実ともについに終焉を迎えてしま
った。我々の卒業した懐かしい研究室が今回の「内紛」報道によって無惨に
もケガされてしまった。もはや、当時の恩師の陰は見るべくもない。帰るべ
き研究室がなくなってしまったのである。

            • 以上、コピペ 完


168 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/01/21(土) 15:53:09
フォレスト氏の御同門(教授のみ)

野依(名大)、山本(元名大、現シカゴ大)、丸岡(京大)、
檜山(京大)、大嶋(京大)、野崎(東大)、鈴木(岐阜)、
石原(名大)、早川(名大)、柳沢(千葉)、森(神戸大)

向山系統に並ぶ、有機化学の名門の系列。

また、岸(ハーバード大)、中西(コロンビア大)、野依(名大)、山本(シカゴ大)、
磯部(名大)、石原(名大)、西山(名大)、木越(筑波大)などの名大系列にも
属すると言える。


229 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/02/08(水) 19:24:40
昔から事情を知ってる人からすりゃぁ、またかって感じ。

T前教授がやってきたときもこのようにごたごたがあったんだが、不幸にもT
教授側の生徒が新聞沙汰になるような爆発事故起こしちゃったんだよね。
それが引き金かどうかまでは知らないけど、それ以来O助教授らがT教授に対して
張り紙をするなどの反発行動等を行い、余りにもひどい物だから学科内の他の
教授からO助教授が恫喝されたのは有名な話。

その内乱が今回のように噂になってしまい、一気に同講座を希望する学生が激減、
これではまずいと思ったらしく、T教授と無理矢理和解、週休2日制の導入等を行い
何とか生徒を確保、T教授の定年退職を待つこととなりましたとさ。

これでしばらく安泰、と思えた人間関係だったが、T教授が定年2年前くらいに筑波
から助手を引っ張ったんだが、これまたこの助手を巻き込んだぎくしゃくした
人間関係が少しだけ勃発。その助手は結局T教授が定年後まもなくして夜逃げに
近い形で辞めた(辞めさせられた?)とさ。ま、その助手に至っては
その人の人間性にも問題があったとのもっぱらの噂。

そして今回の事件。この講座はどうやら外の人間をとことん嫌うようだね。


230 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/02/08(水) 19:32:23
さて、今回のゴッドバード氏はというと・・・

事情を知る人間からすれば、は?何故今更?といった感じ。

前述のT教授がらみの内乱がきっかけで、10年くらい?他講座(高分子系)
に転属させられ、さらに自分の下には生徒なし、研究室も与えられず
分析室の隅っこのパーティションの切られた部屋で過ごしましたとさ。
ようやく生徒が割り当てられ、名目上”講座”をもてるようになったのは
T教授退官後のつい最近の話。だから論文等に生徒と共著になったものが
最近なかったり、やたら論文数が少ないわけさ。

講座合併云々・・・と新聞では書いてあるけど、実際の所講座なんて
あってなかったようなもののはず。生徒もいて数人じゃなかったかな?

前述の他講座に転属させられた理由を知る人ならきっと、ゴッドハンド
助教授がこのような訴訟を起こすのは寝耳に水に近いと思うよ。

当講座を知る人はきっと裏で何かが・・・と感じてることだろうね。


191 名前:あるケミストさん 投稿日:05/02/17 20:06:44
K垣戸先生←(岡本先生)←澤本先生←東村先生←岡村先生←櫻田先生
京大高分子合成系の名門、この世の春、派閥の論理に乗れるか

Y島先生←岡本先生←(畑田先生)←村橋先生←真島先生
阪大高分子合成系、実力を身につけ新しいことを切り開くにはいい

M下先生←野田先生←永沢先生
名大系、 母校愛に浸るならば・・・


209 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/02/24(金) 23:46:12
>>191
それ、桜田研の流れじゃないし
京大では旧桜田研の流れはほぼ途絶えたよ。

化研に少し、生医工研に少し、くらいじゃね?
もちろん他大学には残ってるけどね。

66 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/03/05(日) 15:36:09
呪い方教えてあげるよ。
まず相手の髪の毛を入手


68 名前:あるケミストさん 投稿日:2006/03/05(日) 15:47:48
そして焼く

わたしは自分の髪の毛を燃やしましたがその後
体調が悪くなりアレルギーを起こしてしまい
夜も眠れず喉が腫れ声がガラガラになって
死神の夢か本物かを見ました。
そして医者に行き3,980円もだして薬をもらいました。
おかげで良くなりましたが、
最終的に心理的にも金銭的にも大損害を受けました。
やっぱり髪の毛は燃やすものではないなぁと思いました。
                      M・Hさん談

358 名前:あるケミストさん 投稿日:2005/11/20(日) 15:23:09
>>356
ラジカルの研究してる教授だと
「私が学生のころ仕込んだ反応。まだラジカルは生きている」とか言って
シールチューブを持ち出してくる

205 名前:あるケミストさん 投稿日:2005/09/08(木) 11:00:17
偏見を承知で書けば、有機化学の研究室では複素環をやっているところ。
教授が複素環をやり始めたら、もう終わりだ。

無機では遷移金属の生体分子錯体。理論化学ではフロンの光分解機構。
応用化学では修飾クロマト担体。
あと研究プロジェクトの名前に「ナノ」がついた時点で、崩壊の序曲。


206 名前:あるケミストさん 投稿日:2005/09/08(木) 14:19:22
>>205
なんで複素環やりはじめると終わってるん?


207 名前:質問がなくてヒマな ◆CmG1xvR.EM 投稿日:2005/09/08(木) 23:16:15
複素環は、環の員数、ヘテロ原子の配列・原子価、縮合環の様式、
置換基の種類などなどで簡単な構造でも無限に新規化合物の可能性がある。
その一方で、金属配位活性があったり、バイオアッセイで妙な活性が
妙な高確率でヒットする。
だから、一つとっかかりがあると、次から次へと同じやり方で新規化合物が
合成できて論文ができる。どこが違うんだか、他人にはわからないのだが、
それなりに価値はあるんだそうだ。NMRもIRも特別なシグナルはないので、
合成できたかどうかは当事者にしかわからず、ライバルが出現しにくい。
しかも研究費が少なくてすむし、医農薬活性があれば企業が金をくれたりする。

だがダイナミックでオリジナリティーのある研究かというと、そうではない。
それに、人が育たない。
教授の自慰的研究へと陥りやすい構造を持っている。

ま、もちろん例外もあるんだろうが。

51 名前:あるケミストさん 投稿日:2005/07/12(火) 12:35:31
 そういえば、うちの学科の分析化学の教授が、半分冗談といいながらこう言ったことがある。

  • logKwの値は、25℃で丁度14になる。log指標で整数になるので、25℃を標準的な温度に選ぶのは

溶液平衡の計算上で都合がいい。25℃から外れると、14前後の小数になってしまう。
 25℃と決めるときの会議で分析化学者が居て、このことを主張し、25℃になったんだと。

802 :名無しさん@編集中 :2005/12/27(火) 08:33:43 id:UAEPvLO7
CPUがAthlon64 X2 4400+でVG1000、MTV-2000、MTVX-2005を乗せた
AV仕様PCを作ろうと思ってます。
746さんは、A8V-DXで安定してるとのことですが、よろしかったら
どのPCIにどのカードを刺してるか参考までに教えて頂けませんでしょうか?
よろしくお願いします。


803 :名無しさん@編集中 :2005/12/27(火) 22:02:10 id:oZxn6GIE
746さんじゃないけど746さんのカキコで購入したので参考までに。現在特に問題なし。
CPU:Athlon64 X2 3800+
AGP:Radeon9800Pro(玄人志向)
PCI1:DVRaptor(RealmagicH+を刺したかったが動かなかった)
PCI2:SB Audigy4ZSPlatinumPro(ちょっと苦労した。オンラインアップデートしちゃダメ)
PCI3:VG1000
PCI4:MTVX2004HF
PCI5:GV-BCTV9(短時間しか試してないので安定度不明)