あるところに、両親と生まれたばかりの娘一人の家族がいました。
貧しいながらも大変仲睦まじい家族で、その家からはよく笑い声が聞こえてきました。
でも、ただひとつだけ、その家族には問題がありました。
それは、「娘がお父さんに激似」ということでした。
きりっとした一本眉毛、への字口、体中の産毛。
日に日に大きくなってゆく娘に、父親の面影がどんどん濃くなっていったのです。
本人に気づかれないように、両親は家から鏡をなくし、
自然を装いながら、けれども腫れ物を扱うように
その娘を育てたのでした。
 
そして時は経ち、娘が小学校に入学する年になりました。
すると、おばあちゃんから宅急便が。
中を覗いてびっくり。
そこには、「黒いランドセル」が入っていたのです。
カラフルでかわいいランドセルがいくらでもある今の時代だというのに。
よく見ると手紙が入っています。
「息子にそっくりな○○君へ、小学校頑張って おばあちゃんより」
昨年おばあちゃんはアルツハイマーになって病院へ入退院を繰り返していたのでした。
手紙は見えないように隠したものの、ランドセルの色は変えられません。
娘は嫌がって泣いてしまいました。
しかし家庭にはランドセルを新調するような余裕はあるはずもなく
両親は何とかなだめて黒いランドセルを使わせたのでした。
 
学校に入ると、娘は周囲から奇異の目で見られるようになりました。
小学生には遠慮などありません。
「男女」「○○男」などのあだ名がすぐに付きました。
そんないじめまがいの生活にも耐え、娘は立派に社会人になりました。
しかし、職場で付いたあだ名は「ブサイク宝塚」「ロッテンドットコム」など
それはひどいものでした。
それでも娘は耐えに耐え、立派に生きていきました。
 
それから何十年もの時が経ち、
ついに娘は父親の死の時を迎えることになりました。
未だに娘は一人身、安い給料で夢も希望も何も無い生活を送っていました。
消え入りそうな声で父親は、涙する母親にこういいました。
「ブサイクでごめんな。娘を頼んだ。」
わかりましたと返事はしたものの、母親にも何もする力はありません。
娘はショックで仕事をやめ、ブス専のデリヘルで働くようになりました。
もちろん母にはバレないように隣町にアパートを借りて。
有り余る給料を湯水のように使い、
全身をブランドで身を包み、
母には毎月大金を口座に振り込むようになりました。
そして久しぶりに家に帰ると
モナコの御曹司と結婚したの。内緒にしててごめんね」
と母に言ったのでした。
母は涙を流して喜び、二人で父親の墓へ報告に行くことになりました。
 
線香をあげ、手を合わせ、母はこう言いました。
「あなた、娘はこんなに幸せになりました。
結婚もちゃんとできて、娘は私がいなくても大丈夫。
だからあなた、天国で安心して見守っていて下さいね…」
娘は隣で泣いていました。
 
ある日、近所の主婦と立ち話をする母親の姿がありました。
主婦達のあいだには、
「娘がデリヘルに勤めているということを言ってはいけない
という暗黙の了解がありましたが、それを母親は知りませんでした。
しかし、ある主婦は言ってしまったのです。
主婦「あなたのご主人似の娘さん、今何してるの?最近よく繁華街で見かけるけど」
母親「今はモナコの御曹司と結婚したのよ。私思うの。父親似の娘って、幸せになれる
   運命なんじゃないかって」
主婦「うふふふ奥さん、そんな嘘言わないでよ、だってデリヘルで…あっ」
固まる空気。まさかと笑った母親でしたが、周囲の表情を見て真実を悟りました。
母親「そんな…嘘でしょ?ねぇ?いやよ、いやぁぁぁぁぁぁ!」
母親は走りました。あても無く。ただ真実から逃げるように。
そしていつの間にか、父親の墓の前にいました。
泣き崩れながら、母親は父親に語りかけるのでした。
「父親似の娘はっ…幸せになれるっ…運命…うっうっ」
声にならない声で母親は泣き続けました。
 
暫くしてその出来事を知り、不憫に思った主婦達は、こんな言い回しを使うようになりました。
「父親似の娘さんは、幸せになれるってよく言うじゃない」
そしてそれは、昔からの言い回しとして、
日本中へと広がって行ったのでした…。
 
 
 
っていうのが、俺の中での「父親似の娘さんは、幸せになれる」という言葉が生まれた由来。
ぜってー同情の念から生まれたと推測するね、俺は。
だって父親似の娘ってアレだろ。同情を元気玉のように集める生命体だろ。
オラに同情を分けてくれ!!!(゜Д゜)
ってまあなにをこんなに妄想してるんだか。┐(´∀`)┌ヤレヤレ